サンティアゴ ベルナベウ

出身地
Almansa (Albacete)
生年
08/06/1895
レアル・マドリードの歴史に大きな功績を残したサンティアゴ・ベルナベウは、1943年にクラブの会長に選ばれた。彼が就任してまず始めに手掛けたことは、新しいスタジアムの建設だった。そのスタジアムは1947年にオープンし、今日、彼の名が使われている。
サンティアゴ・ベルナベウは、誰よりもレアル・マドリードのことを熟知していた。なぜなら彼は15歳のときからクラブのメンバーで、選手として、トップチームのキャプテンにもなり、幹部に就き、監督だったことまであるからだ。彼は他のスポーツも推進し、バスケットボール部門の成長に貢献した。
タレントのある選手を見抜く目も持っており、彼の指揮の下、クラブはルイス・レゲイロからアルフレッド・ディ・ステファノまで、最高の選手たちを擁した。また人柄の良さを見分ける能力にも長け、素晴らしい選手であってもチームに悪影響を及ぼす可能性のある選手は避けていた。
UEFAチャンピオンズカップ(今日のUEFAチャンピオンズリーグ)の創造者の一人でもあり、彼の会長時代、レアル・マドリードはFIFAの創設に関わった世界で唯一のクラブである。サンティアゴ・ベルナベウは、信望が厚く、世界中から尊敬される存在だった。
アルゼンチンのワールドカップ開催中の1978年6月2日、サンティアゴ・ベルナベウはマドリードで生涯を閉じた。FIFAは3日の喪中期間を定め、哀悼の意を込め1分間の黙祷を捧げることを決定した。それは誰もが、偉大なサッカーの父として彼を重んじていたことのしるしといえるだろう。
サンティアゴ・ベルナベウの時代、レアル・マドリードは数々の権威あるタイトルを勝ち取った。UEFAチャンピオンズリーグ、インターコンチネンタルカップ、クラブワールドカップ、リーガ、スペイン・スーパーカップなど、その数は数え切れないほどである。
フットボール
- 6
ユーロバスケット
- 16
リーガACB
- 1
インターコンチネンタルカップ
- 6
国王杯
- 2
ラティーナ杯
- 2
小さなワールドカップ
バスケットボール
- 19
リーガACB
- 18
国王杯
- 6
ユーロバスケット
- 3
インターコンチネンタルカップ
- 1
ラティーナ杯