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新しい世紀はバスケットボールにも新風を吹き込んだ。ユーロリーグの創設、規則と選手構成の変更、NBAの国際化などが進む中、さらなるタイトル獲得を目指し、クラブの威信をより高めようとする野心がこの10年間を特徴づけることになる。
2000-01シーズンにユーロリーグが発足すると、過去、欧州チャンピオンズカップで戦ってきた数々のクラブにも新しい時代が到来する。新大会のオープニングゲームを飾ったのはレアル・マドリード対オリンピアコス。1999年にライムンド・サポルタと改称されたシウダード・デポルティバの旧アリーナで対戦した。これはリーグの日程による偶然ではなく、マドリードが欧州の王者チームと認められて組まれた試合だった。
2005年のリーガACBのラストは、クラブ史を通じて何度となくレアル・マドリードが戦った決勝の中でもドラマチックなものだった。タイトルの懸かったプレーオフ5試合目、タウとの対戦はビトリアで開催。拮抗した展開の中、終盤に相手がリードを奪う。残り42秒の時点で8点差とあって、すでに地元ファンは優勝を祝うムードになっていた。しかしマドリードは諦めず、素早い攻撃を繰り出すと、とうとう逆転に成功。アルベルト・エレロスがスコアを70-69とする角からの3ポイントゴールを挙げ、クラブ史に名を残す。この優勝を決めたプレーを最後にエレロスは現役を引退、リーガで通算8995得点という最多記録を残し、マドリードのバスケット・セクション管理部門に加わった。
2006年、前年度シーズンまでアシスタントコーチを務めていたジョアン・プラサが監督に就任する。この指揮官交代は功を奏し、フェリペ・レジェス、ルイス・ブロックらを擁したチームはリーガを席捲。優勝を果たし、レジェスは決勝のMVPに選ばれた。2007年にはまた、ULEBユーロリーグも制覇し、1997年以来の欧州タイトルを獲得。この成功したシーズン、チームでは若きポインドガード、セルヒオ・リュルも頭角を現している。