1920年代初頭、レアル・マドリードは再びスペイン・サッカーのパイオニアとなる。一連の海外遠征試合により、国際的に知名度を高めた。また、フィールドも2度移転され、まずはシウダード・リネアル競輪場に移り、その後、チャマルティンが建設された。1928年には創設されたばかりのスペイン・リーガの初試合も後者で行われている。
20世紀始めにはファンによるプロジェクトのように思われたスポーツは想像を超えて発展。スペイン人口の多数がサッカーをプレー、もしくは観戦するようになっていた。1920年のアントウェルペン・オリンピックでスペイン代表が銀メダルを獲得したことにも追い風を受け、その人気はますます上昇。レアル・マドリードにとっても新しいパノラマが開けることになる。
そんな状況下でリーガが誕生した。スペイン・サッカーの組織的問題は過去のものとなり、3つのデビジョンを設けることが関係者間で同意される。1部ではスペイン王者だった6クラブ、準優勝3クラブ、そして2部からの昇格プレーオフを勝ち抜いたクラブがプレー。国内全ての地方からクラブが参加してくる壮大な大会が始まった。
再びファンの数の拡大に直面したレアル・マドリードは新しいフィールドを探す必要に迫られる。オドネル・スタジアムでは入りきれず、まずはシウダード・リネアル競輪場に移転。その後、新スタジアムのチャマルティンが建設された。1万5000人の観客が見守る試合はまさにパブリックイベントと化すことになる。
どんなに才能のある台本家でもこれほどまでの筋書は思いつかなかったはずだ。新しい大会であるリーガの初戦、マドリードは夢のような試合をした。エウロパ・バルセロナと旧エスタディオ・チャマルティンで対戦すると、5-0で勝利。ホセ・キランテ監督率いるチームはリーガ史上最初の首位となり、将来を予見させる好スタートを切った。
リーガとカップ戦で準優勝に終わると、クラブに変化が訪れる。当時、最高のGKと評されていたリカルド・サモラをエスパニョールから15万ペセタ(900ユーロ)で獲得するに至った。