この時期、再びレアル・マドリードは胸を張ってヨーロッパを渡り歩くようになる。クラブ通算9回目の欧州制覇に加え、3回目のインターコンチネンタルカップ、5回のリーガ優勝を果たした。また、フロレンティーノ・ペレス)はクラブの財政健全化に成功、地上で最も裕福なクラブとなった。
2003年まで指揮を執ったビセンテ・デル・ボスケ)はそのサッカー哲学で王者のチームを作り上げる。再びチャンピオンズリーグに優勝すると、インターコンチネンタルカップも制覇。加えてリーガで2回、スペイン・スーパーカップで1回、UEFAスーパーカップで1回、優勝している。これほどの成果を挙げた例は、1950~60年代まで遡らないと見られないほどだ。
フロレンティーノ・ペレスによる経営は、クラブの構造改革をもたらした。財政を健全化し、世界で最も裕福なクラブとなると同時に全ての領域において近代化を進める。サンティアゴ・ベルナベウの全面改装を後押しし、バルデベバスに新しい練習場を建設、アルフレド・ディ・ステファノ・スタジアムもオープンした。スポーツ的な面においては、ファンが切望するスター選手、ジダン、ロナウド、ベッカムらを獲得した。
2度目の会長就任となった2009年以降もペレスは最高ランクの選手、監督の獲得し、ファンに夢を与え続ける。クリスティアーノ・ロナウド、ベンゼマといったビッグネームが加入した。監督ではジョゼ・モウリーニョが、インテル・ミラノをサンティアゴ・ベルナベウでチャンピオンズリーグ優勝に導いた1週間後、レアル・マドリードの指揮官として就任している。
2002年3月6日、レアル・マドリードは創立100周年を迎えた。クラブは数々の記念行事を催し、感動に満ちた1年間となる。その名誉会長をスペインのフアン・カルロス国王が務めたことも、栄光に満ちた国際的なクラブ史にふさわしいイメージを世間に流布。シーズン終盤には通算9度目の欧州王者戴冠、3度目のインターコンチネンタルカップ、初のUEFAスーパーカップ制覇と記念の年に花を添えた。
2008-07シーズンにはファビオ・カペッロがレアル・マドリードのベンチに戻る。チームに自身の持つ勝者のメンタリティを再び植え付け、通算30回目のリーガ優勝を遂げた。タイトル奪還への道が開けたのは、2007年3月18日のバルセロナ戦。3-3で引き分けたことが、チームを大きな変貌へと導く。シーズン最後の12節で10勝1分け1敗という成績を挙げての逆転優勝となった。連覇を達成した2007-08シーズンは、開幕当初から圧倒的な強さを発揮。第2節以降、ずっと首位でのフィニッシュだった。