1931-1940

リカルド・サモラの加入から間もなく、シリアコ、キンコセスも入団。彼ら、世界最高と評された守備陣のおかげもあり、マドリードは4年間で4つのタイトルを獲得する(リーガ2回、カップ戦2回)。常勝軍団マドリードの萌芽となったが、スペイン内戦の勃発がその継続を妨げる。

レアル・マドリードは成功の秘訣をすでに獲得していた。サモラ、シリアコ、キンコセスといった最上級の選手がいてこそ可能になるということだ。さらなる選手が到着するのに時間はかからなかった。1931-32シーズンはリッポ・ヘルザ監督の下、リーガを無敗で終えて優勝。マドリードが覇権を握る時代の幕開けだった。
 
1936年、スペインカップに優勝してから1カ月後、スペイン内戦が勃発する。当時、最良の時期を迎えていたレアル・マドリードもその影響を受け、多くの選手たちがキャリアを断念。国外へ脱出した者もいた。クラブとチームの再建には終戦を待たねばならなかった。

1931 - 1940
  1. リカルド・サモラの素晴らしいキャッチ

    このレアル・マドリードGKは素晴らしいパフォーマンスで、イラストのような信じられないセーブを披露した。旧メスタージャの決勝でエスコラの強シュートをキャッチしている。

  2. リカルド・サモラの飛び出し

    1930年代に活躍したこのレアル・マドリードGKが、相手チーム選手のいる前でボールへと飛び出す

  3. 永遠のライバル相手のコパチャンピオン (1936)

    1936年6月21日にレアル・マドリードとバルセロナが対戦した。レアル・マドリードはバレンシアのスタジアムで2-1の勝利を果たし、4度目のコパ・デ・エスパーニャのタイトルを獲得した。

  4. 17年ぶりのコパチャンピオン

    1934年、レアル・マドリードはモンジュイックで行われた決勝でバレンシアを2-1で倒し、チャンピオンを宣言した。これはロス・ブランコスにとって1917年ぶりの優勝となった。

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サモラ、伝説と化す

スペイン国内で沸騰するサッカー人気により、選手の何人かはファンのアイドルと化していた。レアル・マドリードの守護神はその最も顕著な例で、1936年のスペインカップ決勝バルセロナ戦で勝利の原動力となった活躍が、リカルド・サモラをスターダムに押し上げることに。エスコラのシュートを止めた「不可能な」セーブはいまだに全てのスペイン・サッカー史の本で貴重な1ページとなっている。

再建のための総会(1939年)

1939年4月19日、スペイン内戦後のクラブの状況に対処するため、ペドロ・パラヘスにより総会が開かれる。スタジアムは破壊され、選手数も激減という逆境に立ち向かうため、アドルフォ・メレンデスが新会長に就任。レアル・マドリードはほとんどゼロからの再建に着手した。

獲得タイトル

リーガ - 2

リーガ

2
総帥杯 - 2

総帥杯

2
リージョナル・カップ - 3

リージョナル・カップ

3
マンコムナード - 5

マンコムナード

5
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